あわてんぼうの女王さま

yahoo!からはてなへ 女王さまの旅は続く

祖母

祖母は 地方の旧家に生まれ 望まれて おおきな名家に嫁ぎました。

ところが 金持ちの婿殿はとんでもない男で 泣く泣く祖母は嫁ぎ先をでたのでした。


詳しいことは、祖母の葬儀のときに親戚の方々が喋っていました。昔の朝ドラみたいでした。

実家に出戻り、しばらくして 離れた村に 赤子を抱えた男が困っていると聞き

そちらに 後添えにいってはどうかと勧める人があり


嫁げばすぐに大陸にいくそうだと

大変な美丈夫で そこいらの娘たちは 物陰から いつも見ているそうだ

という口車に 見たら なんと素敵な映画俳優のような男性

そして あれよあれよと言う間に 婚礼となり

嫁いだ夜 板の間にちょこんと座っていたお人形のような女の子が

ワタクシの母でした。

ようやく回るようになった口で 「かあちゃん」と呼んでくれて 

ああ、この子のかあちゃんになるんだと決心したのだそうです。

その後 自らも3人の子を産み育てたけど、長女を一番に大事に育てて

嫁に出すときには 幸せだけを願ったという


それなのに ああ それなのに 美丈夫だったジジイは

その男前を最大限に活用し 遊び放題

仕事もバリバリやっても 家庭は顧みない

稼いだ金を湯水のように女に使い

豪勢な暮らしをしたが

新規の事業に失敗し 多額の負債を 負う

天国と地獄を家族に味あわせた

それでも 祖母は 耐えて耐えて 4人の子を立派に育て上げた。

初孫である ワタクシもそれはかわいがってくれて 手先が器用なことを見込んで編みものや縫い物をおしえてくれた

私の結婚も ひ孫が生まれたことも 喜んでくれて 誰からも愛されるおばあちゃんだった


入院して、もう長くないと聞き 付き添った日に 話していると

「私はね じいさんと一緒になって 本当に辛い目に遭わされたけど

子どもたちには恵まれたよ。 娘達も みんないい人と結婚して幸せなくらしだし

いまは息子一家と一緒に暮らして 毎日が幸せだ

あんな ひどい目にあったことなんて忘れた いまは むすこや嫁、娘達のお陰で

幸せな毎日だ

感謝している。」と



あのときの 祖母よりも 母は年をとりました。

人生の最期のとき 幸せに終わらせられように

ワタクシのできることをしてあげたいと思います。

「このはげ~~ 」とか 「そうでちゅよね どうせ いってもわからないんでちゅよね」って

母に言うのは やめようと思いました。

幸せな記憶をいっぱい作ってあげたいなと思います。

それが人として 親に対する最期の礼儀だと思うのです。